日本の宝石珊瑚の歴史


日本にサンゴがもたらされたのは、仏教伝来と一緒と伝えられています。
地中海産の宝石サンゴがシルクロードを渡り、聖武天皇に献上されたと記されています。このことは不確実な言い伝えですが、正倉院の宝物の中に地中海サンゴが収められていることから、信憑性は高いと言われています。
仏教の経典は、「極楽浄土は七宝で彩られている(七宝荘厳)」と教えており、珊瑚はその一つでもあります。そのため古代より日本でも珊瑚は珍重されてきました。
その後江戸時代までに、宝石サンゴは輸入品として日本国内に出回り、地方の大名やその周囲の人々の手に渡るほど普及していきました。
珊瑚は西城を意味する「胡」から渡ってきたという意味で「胡渡」と呼ばれていました。現在、イタリア産の珊瑚を「胡渡」と呼んでいるのにはこのような背景があるようです。

文化9年(1812年)に室戸の漁師が、漁労中に釣り針に偶然サンゴがかかり、これを領主に献上したことが文章に残っています。これが日本で初めての宝石サンゴ類捕獲の記録だといわれています。その後も度々土佐の漁師は宝石サンゴを偶然引き上げており、これが高値で取引されている「珊瑚」であることは周知の事実になっていきました。

しかし、江戸時代中期から行われてきた「倹約令」に触れることを恐れたか、もしくは重税をかけられることを危惧したか、当時の土佐藩はこの珊瑚が幕府に知られることを恐れ、漁師達にはこれを水揚げすることを禁じたとされています。

明治維新が起こり、時代が変わると「サンゴ漁」は一気に解禁となり、明治4年(1871年)には室戸地方において、サンゴ採取 事業が開始されています。既に捕獲技術は色々と研究されていたようで、天保年間には効率よく珊瑚を採取できるように工夫された「サンゴ網」が考案されていました。

当時の漁獲高はすさまじく、高知、鹿児島、長崎での漁獲の合計が、1901年には16トン以上の水揚げが記録され、日本は珊瑚輸入国から一気に珊瑚輸出国となりました。

サンゴの漁場は徐々に広がり、伊豆諸島、小笠原諸島までに広がっていきます。大正13年(1924年)には沖縄県の許可船種にサンゴ漁業として10隻の登録があり、昭和12年(1937年)には沖縄本島知念沖で採取が行われた記録があります。

昭和34 年(1959年)に宮古島沖の宝山ゾネで「モモイロサンゴ」の大漁場が発見され、これが沖縄のサンゴ漁が注目を集めるきっかけになりました。昭和40年(1965 年)には福島県の建網漁船がミッドウェー諸島でサンゴを発見し、日本だけでなく台湾の船などもどっとミッドウェーに繰り出した、という歴史があります。

これらの漁は、全てサンゴ網を用いてのサンゴの採取でしたが、1979年、鹿児島県奄美諸島で、初めて潜水艇によるサンゴ漁が開始されました。それ以後、鹿児島県と沖縄県では潜水艇による漁獲のみが許可されています。その後、土佐沖で桃色サンゴと赤サンゴが発見され、その品質の良さから世界の注目を集めることとなり、現在では高知県の伝統産業として定着しています。

このように、日本のサンゴ採取漁業は明治以降急速に発展し、現在では「サンゴは日本」と言われるようになりました。 珊瑚は日本で唯一天然で採取できる宝石と言えます。